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 ブーツの話





先月、極寒のNY旅行用にブーツを買いました。
以来、あっちから帰ってきても割と毎日履いていて、
中がもこもこしていてあったかいし、沢山歩けるし、何かとお気に入りです。
良い買い物をしたなあと思います。
ブーツって何かとババ臭いとか言って馬鹿にしていたんだけど、
好みも年齢とともに変化しているのを感じたり。

歩くと、カツカツっと良い足音がするのもお気に入りポイントの一つ。
その音が何とも気持ちがよくて、そのせいか、散歩をよくするようになりました。

カツカツ、コツコツ。
NYを歩いている時に、この足音が何よりも、自分という実感を生んでいたのかもしれません。
流行の中心街は、人の足並みも早く、みんな自分のことしか考えていなくて(これは悪い意味ではなくて)、
誰も私のことなんか、気にかけない。
自意識が異様に過剰な自分は、渋谷なんか歩いてると人目が気になり過ぎて本当に痛い人なんですが、
NYはなんだか、そういう意味で本当に開放的で、すごく好きになりました。
居心地が本当に良かったし、どこか上海と似ているなあと思ったのはつまり、
上海もそういう街なんだなあという気付きもありました。


自分のブーツの音だけが規則正しく、一定のリズムで自分の耳に入ってくる。
少しずつ街を攻略していって、それがゲームのダンジョンのように、
自分が歩いた道のりで、マップがどんどん明かされていくような感覚。
(うまく言えないけど、ポケモンの真っ暗な洞窟みたいなかんじ。)
ワクワクして、でもちょっとビビってもいて、
不安をかき消すためにも、虚勢をはって足音を踏鳴らしていたのかも。
でもだからこそ、初めて訪れた土地で、その音だけが頼りであり、
ってことは、自分が、頼りになる。


人目を気にするあまりに、
誰かの意向に沿わせようとするあまりに、自分が居なくなっていくような。
東京に居る私は、そんな消しゴムっぽいイメージが頭に浮かぶことがあって、
正直感傷的すぎて引くし、真っ白でもないから自分ドンマイ!と言いたいとこだけども。
・・・砂消しゴムぐらいにランクを落とせば、ちょっとこの話もし易くなるかな。
自分がどこに居るのかわからなくなって、ゴシゴシ気持ちがすり減る。
(砂消しの場合は、周りも削るわけだけど、それはどうなんだろう。)

なんでこんな風になってしまったのかはわからないけど、だから未だに、東京での身の振りがイマイチ掴めません。
NYでお世話になった日本の方も、同じようにおっしゃっていて。
「だから気付くと、7年も日本に帰ってないのよ(笑)」
あー、気持ちがわかるなあと。きっと私も、その予備軍なんだろうなあ。
多分その人も私も、必要以上に周りを気にしすぎているもんだから、
それってつまりは、実は周りに依存しているってことだから、
NYぐらいさばさばして、その必要がない!っていうのを提示されて、突っぱねられないとダメなんだろうな。


このブーツを履くと、なんかそれこそ柔軟剤のレノアハピネスのCMみたいに、
NYっていう街の雰囲気をまとったような気持ちになる。(臭いのシールドみたいなやつ。)
少しだけ自分に自信があるような、っていうか、自信とかよりも、
別に周りなんてどーでもいっか!みたいに思える気がする。
周りの雑音なんかかき消すぐらいに、周りの雑音が追いつかないくらいに、
カツカツ音を鳴らして、どんどん早歩きしてやりたいなあって。

本当に、これはどこから来る自信なのかわからないけど、ブーツの季節が終わる前に、
ブーツを履かなくてもそうやって考えられるようになろうと思う。
自分に自信が持てるように、渋谷を颯爽と歩けるように、なりたいなあと思う。




 
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 年の瀬


子供たちが作ったランプ。
もっと、作ることを大切にできるような声かけをしなきゃなぁ。
人数的に回すので手一杯だったけど、
それじゃあ意味ない。
もっと素材研究もすれば良かったと、反省。

けど、こうして形になって、美しく光れば、
ある程度子供たちの中に作品への愛着がわくのも事実。
そう思うと、"驚き"っていい言葉だよね、という話にも繋がるわけだ。

あと、インプットとアウトプット。
1日あったことを、その日に作ることでもう1度思い返して、外に出すことで、
思い出がより印象に残ること。
そういう意味では、すごく良かったのかも。
形として何か残れば、それを見た他の人(親とか)も、何があったのか聴きやすいしね。
「この絵はなーに?いつかいたの?」的な。

あっという間に子どもたちは親元へ帰って行ったけど、
お母さんやお父さんに、こんなの作ったんだーって話をしてくれたかなぁ....

綺麗だねーって言ってあげて欲しいな。
上手い下手じゃなくて。いいねーって。
それを言えないのは大人の責任。子どもの作品の良いところを見出せないのは、
その大人に見る目が無いからだってことで、
それを自覚して猛省AND恥じて欲しいな、とこういうワークショップをしながら思います。
シニカル〜(^O^)


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 10年後?

いまの学科に入って二年。
好きな事を選んで、好きな道に居る気がする。

けど、一方でずっと、逃げている。気もする。
見たくなかったけど、ずっと見ないふりをしていたコンプレックスがあるのを知ってる。
ムサビに入って、時々、たまらなくつらさを覚える。

絵を描く事が好きだった、自分でも誇れるところだと思っていた。小学校ぐらいまでは。
けど、沢山沢山、自分よりも絵が”上手”な人たちに囲まれて
少しずつ少しずつ、自信が無くなって行った。
自分の絵より、他の人の絵が気になって。
そして、少しずつ少しずつ、距離を置くようになって行った。

大好きで、誇りたいからこそ、一生懸命になれない。
そこで挫折してしまったら、何も無くなってしまう気がしたから。
まじめに向き合って、かっこ悪いと思われたくなかったから。

指が上手くかけなくて描くのをやめた、
体のバランスがうまく描けなくてあきらめた、顔の向きが描いたら変になって描き途中で放り投げた、
靴の向きが上手く表現できなくて筆を折った、
結局、デッサンもやらなかった。予備校にも通わなかった。可能性を残しておきたかった。
向き合わなければ、夢見がちでも、自分にいくらでも可能性をかける事ができるから。
これしかないと思ったから、大事に大事にしまいこんだ。

けど、そうしている間にも、”上手”な人たちは、沢山失敗作を生んで、
作って、描き直して、他の絵を参考にして。たまにネットに上げて叩かれて。
結局、”上手”なんじゃなくて、ちゃんと向き合ってただけなのかもしれない。
「自分にはこれしかない」って思ったり、なりふり構わず絵に向かう、強さがあっただけなんだろうなぁ。
私は絵を描くという事が好きだったはずなのに、
いつの間にか、褒められること、上手だねと言われる事が、目標になっていたのかもしれない。
「めちゃくちゃ絵がうまい子」にはなれなかったけど、
「あの子の落書きは可愛いよね〜」っていうポジション。

そして、なりふりかまわず描く事で、うわぁ、また絵描いてる(笑)って、イケてないみたいになるのも嫌だった。
(なんで教室で絵を描く事がイケてなくて、女子トークをするのがイケてるんだろう?)
今思えば、そんなこと気にしないで、もっともっと、描いておけばよかったと思うのに。
評判なんて本当に一時で、それに振り回されている方がかっこわるい。
まあ、わかっていても、今もなおそれに振り回されているんだけど。
でもやっぱり、離れる事は出来なくて、夜な夜な気付くと絵を描いていたり、何かをつくって、手を動かしていた。

今改めて、あー、デッサンやっとけば良かったなあと思う。(今からやれば?って話にもなるんだけど。)
改めて、あーあのとき、指を描く事を、挫折しないでもっと失敗作を描けば良かったなあって思う。
美しい指が描きたい、とすごく思う。自分の納得する指が描きたい。美しい線が描きたい。
ネットにも、沢山上げて、鼻をぼっきぼきに折られちゃえば良かったのに。
年齢があがるにつれて、プライドは高くなるし、挫折や失敗が恐ろしくなる。恐ろしい。
私はプライドが高い。半端な成功体験に支えられて、それをずーっと大事に大事に抱えているだけだ。

このコンプレックスみたいなものは、きっと、ずっと一緒に生きて行くのかもしれない。
絵を見ながら思う。私も、こんな絵が描きたかった。描きたい。描いてみたい!!!
小学校の七夕で、「画家になりたい」って書いた。あとは、「イラストレーター」。
「漫画家」、「花屋さん」。ああ、作る事だったり、そういうことが、好きだったんだなあって。

でもだからこそ、今、こうやって制作をしている人たちを目の前にして、
本当にかっこいいなあと思う。強いなあと思う。
自分のつくったものを人に見せるって、心臓が潰れてしまいそうなほど、恐ろしい。
自分が全部、否定されてしまうような気がする。そんな事されたら、立ち直れない。死んじゃうんじゃないかしら。

まあ、ものをつくることと引き換えに、社会性や色んな事をどこかへ置いて来てしまったような人もいるけれど、
そうまでしても、全部置き去りにしても、何か、捧げてしまう魅力があるのだということ。
だって私も、逃げていったはずなのに結局、ここにいる。
海外での経験を生かしてうんたらかんたらとか言って、全然違う道を選ぶことも、十分あったんだろうとも思うから。

けど、こんな半端な自分に、何が出来るんだろう。

小中学校へ行って、「あたし、絵上手くないんだよね」って言われると、悲しい。
別に上手くなくてよくて、楽しめれば良くて、それを一番わかっているから、それが伝えられればなって思う。
自分には出来なかった、越えられなかった壁を、みんなには越えてほしいなあって。自己投影してるのが分かる。

これからも私はずっと、そうやって憧れと、決してそこへたどり着けない悲しさがごちゃ混ぜの視線を向けながら、
美術に関わって行くのだろうか。
むしろ開き直ったかのように、今度はそのコンプレックスを抱えて、大事にしながら、
「美術好きだけど同時にコンプレックスありまくり人間」というポジションを獲得していこうとするかもしれない。
決して遠くはない、けど、完全に近付くこともできない、微妙な空間を漂うのでしょうか。
踏み込む事は、できるんだろうか。

ああ、また中途半端だなあ。
けど何か、美術のために何かしたい。その使命感みたいなものは、なんだか日に日に強くなる。
美術のためというか、美術を担う人たちのため?なのかな。
私はお世話とか、そういうことが、単に好きってだけなのかもしれないね。

わっかんね、終わり。長いね。
でも、そんなかんじよ。

 
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 かまちょについて
誰か人と繋がりたい、とふと1人で思ったときに
とっさにfacebookやTwitterを開くのは、
良く無い癖だな、嫌だなあと思った。

人と話がしたくなって、
だれかと一緒に居たいと思って、
寂しくなって、
ふいに周りが気になって、
1人になってしまいそうで、

そうなったときに、
拠るべきところはもっとあるだろう。

億劫だし、面倒だし、嫌いなところもあるけれど、
少しだけ我慢して、お家に帰りたい。
そこにはきっと、あったかいご飯や、家族がいるんだから。

タイムラインを見つめるより、
遠くで聞こえる家族の足音の方が、
きっと確実で、あたたかで、優しい。


何より時間がとられないのも重要ね。笑


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 no title
image.jpeg
楽しいことをやれと、
やりたいことをやれと生まれたときに言われたから
ずっと、まあ、割と、
特にここ一年はそうしてきたけれども

それで誰かを傷つけたり、
迷惑かけたり、
自分のことしか考えられていない人になってしまってはいないだろうか。

なっているんだろうな。
省みることが出来ない人に、
なっているんだろうなあ。

あーあ、
だいぶ調子付いて
成功してる気になってたけど
評価されてる気になってたけど

そうじゃないじゃん。
全然だめじゃん。
1番大切にしなきゃいけないところ、
1番お世話になっていたところを、
ないがしろにしていたツケだよね。
こんな人間が、
これ以上ステップを踏めるわけがない。

重石を丸呑みした気分、
お腹の底がとっても重痛い。
あーあ。あーあ。あーあ。
 
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